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Channel: 仏教でタナトフォビア(死が怖い・死恐怖症)の根本問題を克服したある男のブログ
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死の恐怖・怖れの克服の原点 ~3つの疑問と、1つの悩み~

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最近、学生時代の同級生とメールなどでやりとりすることが増えました。


学生時代よりも親しくやりとりしている人もあって嬉しいですね。

うまく説明できませんが、同級生ってなんだか好きなんです。


学生時代は女子とはほとんど会話もなかったのですが、

別に嫌いだったわけでもありませんし、無視していたわけでもなく、

ただひどく不器用だっただけですので、同級生の女性の皆さん、すみませんでしたm(_ _)m


同級生とのやりとりを通して、小中高の自分を振り返ってみたところ、

自分の【原点】を改めて見つめなおすことが出来ました。


原点とは 当時抱えていた3つの【疑問】1つの【悩み】です。



●一つ目の疑問は《評価》について。


当時、社会が下す「評価」にはなはだ疑問を持っていました。

テストの点数の良し悪し

会社の業績の良し悪し

これでほぼ、人の評価が決められる社会。


私としては、「心優しい人」や、「他人のために貢献する人」のほうが評価されるべきだと感じていました。


「92点」とか、「1億円稼いだ」とか、「業績30%アップさせた」とか、

デジタル化される「数値」に、人間性はどこにも見当たらない。


そんな「数値」は、皆、人間が都合で設定したものじゃないか。

全宇宙という視点からみたら、そんな数値なんかまったく関係なく、

数字が上がったり下がったりするたびに、絶望したり有頂天になったりするのは、

まったくもって茶番に見えてしょうがなかった。

すべてが嘘っぱちに思えたのです。



●二つ目の疑問は、《生と死》について。


授業で教わることは、「知識」ばかり。

「生きる」ということ、

「死ぬ」ということについては、全くというほど学べない。


「知識」が無意味とはいわないけれど、

「生きる」ってどういうことなのか、

「死ぬ」ってどういうことなのか、

学ぶ場を提供するのが本当の学校の姿じゃないのか。


どう考えても、算数を解くより、細胞の名前を覚えるより、

「死」のほうが大問題なのに、

全く論じられないのは一体全体どういうことなのか?

理解できませんでした。



●三つ目の疑問は、《矛盾》について。


例えば、

会社でお金を稼ぐ人は非常に高く評価され、

一流企業に就職したり、出世することは推奨されているのに、

お金は汚いものだという風潮もある。

これは一体どういうことなのか。


また、

性欲は、いやらしくて、みっともなくて、侮蔑の目で見られるのに、

恋愛や、結婚は、「愛」という「最高に素晴らしいもの」と論じられている。

でも、両極端に評価が分かれるこの二つの境目は極めてあいまいじゃないか。

もし、こんなにも極端に評価が分かれるのなら、その違い目を教えて欲しい、

とか。




また、

殺人は恐ろしい罪なのに、動物を殺して食べることはまったく罪として論じられない。

いや、殺人までいかなくても、例えば自分が愛するペットを殺す者があれば、その者を悪魔となじり、死ぬほど憎むだろう。

なのに自分は、鳥を食べ、魚を食べ、豚や牛の肉を食べ、うまいだのまずいだの言っている。

これは一体どうしたことなのか?


これも学校では教えてもらえない。


こんな問題にはまったく触れず、いや、触れさせず、

英単語を覚えさせ、「せ ○ き し しか ○」と古語の活用系を暗記したりしている。

答えとまではいわないけれど、

せめて考える上でのヒントや、

考えを深める手助けがあってもいいように思うのだけれど、

論ずることさえタブー視されるのは、一体なぜなのか、さっぱり分からない。


あまりにも優先順位が間違っているのではないかという疑問。


「評価」

「生と死」

「矛盾」


この3つについて、社会の取り組み、

少なくとも学校の取り組みは根底から間違っているのではないかという疑問。

これが3つの疑問です。



●次に「悩み」。

それを一文にすると、こうなります。


【悪をつくって死にゆく自分に、生きる意味はあるのか?】


これは、先の3つの疑問ともかかわってきます。


つまり、ペットを殺す人が悪魔なら、

毎日、毎食、生き物を食べて生きている自分を何と呼ぶべきか。

「仕方ない」は人間の都合。

勝手に人間が作り上げたルール。

勝手に作ったものだから、全部「嘘っぱち」。

現実は、

「死にたくないと思っている生き物を殺し、

 それを食らって生きる自分という存在は悪」

ではないのか?

少なくとも、テスト上での優劣という仮想上での良し悪しより、現実的な問題だ。


また、「死」という現実に突き付けられた時、

あれだけ評価の基準となっていた、お金も意味を失う。

社長も平社員も、同じように死んでいく。

「死」を前に、なお輝きを失わないものなんてあるのだろうか?



「罪」と「死」という現実を前にして、

どうしても自分が生きていく意味が見出せませんでした。


しかも、そのことに悩みながらも、実生活では、

テストの点数に一喜一憂し、

他人の評価を気にし、

料理をうまいまずいと言っている。


そんな自分が嫌でなりませんでした。



しかも自分を憎悪しながら、そんな自分を誰よりも甘やかしている自分がいる。

その自分を許している自分が一番許せない。

なのにまた、無条件で許している自分は一体何者なのか?



嘘っぱちの世界

嘘っぱちの自分



「ウソっぱちの自分が

 ウソっぱちの世界で、

 仮に成功したとて、

 それが一体なんだというのだろう?」


大事なことは何一つ分かっていないし、

これからも分かりそうにない。



ロッククライミングのようになかなか進めなくてもいい、

手を伸ばし、一つ上にのぼるために、引っかかる場所が欲しい。

足をふんばらせる足場が欲しい。

例え、答えはずっと遠くても、少しでもいいから、正しい答えに向かって

進む命でありたい。




「悪をつくって死にゆく自分に、生きる意味はあるのか?」

この問題を学べる場が欲しい。

これが学生時代の【原点】。



あれから25年以上の月日が過ぎました。


幸いにも、大学時代に大きな転機があり、

今、

「悪をつくって死にゆく自分に、生きる意味はあるのか?」

という人間根本の問題について学べる場が提供できるようになりました。

これは本当に幸せなことです。

とても考えられないほど凄いことです。

勿論、私が優れていたからではありません。

「縁」が素晴らしかったのです。

ですからもし、「もう一度、同じ人生を歩みたいか」と問われれば、

即答で「YES」といえます。


だからこそ、同じような悩みを抱えている人たちに、

この

「悪をつくって死にゆく自分に、生きる意味はあるのか?」

について学べる最高の場を提供していきたいと思います。


実質、昨年の後期に始めたばかりですので、十分なものは出来ておりませんが、

まずは、こちらからその手がかりを手にしていただきたいと思っています。

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勿論、質問や反論なども大歓迎です。

スイスイと進める道ではありませんから、

一つずつ確認していかれたらいいと思います。


当然ながら、いきなり全てを私に任させて下さいなんていいません。

私は一介の案内人であり、

あなたは自身の判断で、紹介する内容を受け取るか拒否するか、

参考にするか、しないかを判断されればいいのです。


とにもかくにも優良な判断材料が必要なのは間違いありませんので、

その最高の材料を提供しようというものです。


そんな場はめったにないので、とても貴重な縁であることは間違いないでしょう。


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